ハンレポ 韓国芸能ニュース速報
バラエティトップスターニュース

中村ゆりさん、直腸がんで死去 44歳 ハン・ヒョジュと共演

ハン・ヒョジュ写真: ハン・ヒョジュ — 티비텐 / CC BY 3.0
スポンサーリンク

在日韓国人4世の俳優、中村ゆりさんが2026年9月1日に直腸がんのため亡くなった。44歳だった。所属事務所のアルファエージェンシーが9月14日に発表した。葬儀は近い親族と、同じ事務所の俳優やスタッフだけで済ませたという。韓国ではトップスターニュースが15日未明に「在日韓国人4世」の俳優として伝え、韓国の俳優ハン・ヒョジュとNetflixシリーズ『ロマンティック・アノニマス』で共演したことにも触れた。

発表は亡くなってから約2週間後だった。事務所は、生前に受けた厚意へのお礼を伝えたうえで、この日まで表に出していなかった長い闘病について明かした。

中村ゆり
写真: 中村ゆり — Dick Thomas Johnson from Tokyo, Japan / CC BY 2.0

病気が最初に見つかったのは13年前だ。事務所によると、中村さんはそのときもがんを患っていた。事務所の社長と本人は、一緒に仕事をする人たちに余計な心配をかけたくないとして、病名を公表しないことに決めた。その後、病状が落ち着く「寛解」に至った。中村さんは元気を取り戻して一番好きな仕事に戻り、定期検査も欠かさず受けていたという。一緒に働く人への気遣いから、病気を伏せたまま仕事を続けていたことになる。

再発がわかったのは2025年1月だった。手術は成功したものの、術後に転移が見つかった。事務所はこの時点で、完治や寛解をめざすのは難しい状況だったと説明している。そこで治療の目標を切り替えた。がんを抱えながら治療を続け、少しでも長く、生き生きと、よい人生を送ることをめざしたという。

中村さんは自分の病気について熱心に学んでいた。主治医からも、仕事は続けたほうがよいと勧められていた。治療と俳優の仕事を並行させる道を、医師とともに探っていたことがわかる。

状況が急に変わったのは2026年8月だ。仕事に戻るため回復に努めていたさなか、再び腸閉塞を起こした。そして、残された時間はわずかだと突然告げられた。事務所によると、中村さんはそれでも落ち着いていて、美しく優しい笑顔を最後まで絶やさなかった。家族や親しい人たちと、最期の時間を大切に過ごせたという。その約1か月後の9月1日に息を引き取った。

事務所は、中村さんの30代と40代を振り返り、病気と闘い、生まれ持った強い意志で乗り越える日々が多かったとした。一方で、すばらしい出会いや幸せ、充実した時間もたくさんあったと記している。そのうえで、温かく応援してきたファン、世話になったスタッフ、共演したすべての人に改めて深い感謝を伝えた。

あわせて、遺族への取材や自宅周辺での撮影は一切控えるよう、報道機関に求めた。理解と協力を願うとしている。本記事も、事務所の発表と韓国での報道で明らかになった事実だけを伝える。

スポンサーリンク

中村さんは1982年、在日韓国人3世の父と韓国人の母のもとに生まれた。韓国メディアが「在日韓国人4世」と紹介するのはこのためだ。芸能界に入ったのは1998年。日本のオーディション番組をきっかけに、アイドルデュオ「YURIMARI(ゆりまり)」のメンバーとしてデビューした。2003年からは俳優として活動し、さまざまな作品に出演してきた。歌手として始まり、20年以上にわたって俳優の道を歩んだことになる。

韓国の視聴者によく知られるきっかけとなったのが、2025年に出演したNetflixシリーズ『ロマンティック・アノニマス』だ。中村さんは精神科医のナミカワ・アイリンを演じ、ハン・ヒョジュと共演した。トップスターニュースも見出しでこの作品名とハン・ヒョジュの名前を挙げ、韓国の読者になじみのある接点として伝えている。

時期を重ねると、この作品に出た2025年は、1月にがんの再発と転移がわかった年でもある。事務所の発表どおりなら、中村さんは完治が難しいと知ったうえで治療を続け、主治医の勧めもあって仕事を続けていた。その年に世界配信の作品へ出演していたことになる。

ここで歩みを振り返っておく。1982年生まれ。1998年にオーディション番組を経てYURIMARIでデビュー。2003年に俳優活動を始める。13年前にがんを患い、公表しないまま治療を続けて寛解に至り、仕事を続けた。2025年1月に再発がわかり、手術は成功したが転移が判明。同じ2025年に『ロマンティック・アノニマス』でハン・ヒョジュと共演。2026年8月、復帰に向けて回復に努めていたところ再び腸閉塞を起こし、残された時間がわずかだと告げられた。9月1日に死去し、9月14日に事務所が公表。翌15日には韓国メディアも報じた。

こうしてたどると、中村さんの闘病は俳優人生の後半のかなりの部分と重なっている。事務所が明かした経緯からは、周りに心配をかけまいと病名を伏せ、病気を学び、医師と相談しながら、最後まで仕事への復帰をめざしていた姿が浮かぶ。発表のなかで事務所が、闘いの日々と同じくらい、出会いや幸せ、充実した時間も多かったと強調したのは、その歩みを伝えたかったからだろう。

日本と韓国の両方にルーツを持ち、日本で活動しながら韓国の俳優とも作品を作った中村さん。訃報は日本での発表の翌日に韓国でも伝えられた。44歳という早すぎる別れを悼むとともに、事務所が求めたとおり、遺族が静かに過ごせるよう配慮することが求められている。

関連記事